持永只仁の紹介文

戦後の日本における本格的な人形アニメーション映画の創始者である持永只仁の仕事は、「アリチャン」「桃太郎の海鷲」「フクちゃんの潜水艦」などの戦前・戦中の日本のアニメーション映画制作から始まる。戦争終結直後に中国で始めた人形アニメーション映画の制作では、背景やミニチュアのセットの中で人形を一コマずつ動かし映画撮影用カメラで撮り、1秒間に24コマ撮りの映画フィルムを作成した。持永只仁の仕事は、実体がある人形を動かすことで映像の中で人形に命を吹き込むことであった。またその表現によって視聴者に届けようとしたものは、幻想的で空想的な物語の展開に感応して視聴者の心の中に生じる「人間愛」であった。

持永只仁が注目される理由は、わが国だけではなく戦後の中国のアニメーション映画や人形映画制作および米国の人形映画に多大な影響を与えている点である。たとえば、ティム・バートンへのインタビューの中に「子どもの頃に休日のテレビ番組で赤鼻のトナカイのような素朴なアニメーションを観て育ってきたので、あまり直接的ではないけど、そのようなものを作りたいという衝動の元になったと思う。」「人々はナイトメアが最初のモンスター・ミュージカルなストップモーション・アニメーションだと思っているが、実はマッド・モンスター・パーティなんだ」という文章があり、少年期にディズニーやフライシャーらのアニメーション映画に強く影響を受けた持永只仁の作品がまた米国の映画作品に影響を与えている様子が分かる。

持永只仁の業績については、山口且訓・渡辺泰の「日本のアニメーションの歴史」、おかだえみこの「人形アニメーションの魅力」などのほかに日本アニメーション学会の創刊号での持永只仁への追悼論文があり、2006年に持永綾子氏によって編纂され刊行された持永只仁著の「アニメーション日中交流記 持永只仁自伝」がある。この書籍によって持永只仁氏の評価は世界的にも大きく変わったといえる。